No.563 |
左から順に、弥生土器(前期)、弥生土器(後期)、弥生土器(後期)、土師器です。
土師器は弥生土器の系統ですが、この場合、底の部分の形状で区分できます。
弥生土器は底が平らで、自立します。土師器の場合、かまどの上にのせで米を炊いたので、自立する必要がなく、熱を受けやすい形状になっています。
土師器の時代は須恵器の使用の時期と重なります。土師器は弥生土器の系統に属し日本の技術で製作されているのに対し、朝鮮半島渡来の技術によって製作された須恵器は、登り窯、ろくろの使用によって、これまで野焼きよりもはるかに高温で焼かれ、かつ、還元炎で焼かれたため、灰青色の硬質なものになっています。
それでは、土師器より須恵器の方が優れているのでしょうか。両方使われたことから考えてみてください。
ご飯を炊くのには土師器を使いました。割れにくいという性質からです。現在の土鍋に通づるものがあります。
写真の弥生土器には、ご飯を炊いたときについたススが多く残っています。土器を手に取ったとき、そのススの一部がつきました。ススの付き具合でも、それぞれの土器の使用法がわかります。
また、土師器には口の形状に工夫した吹きこぼれ対策が施されていました、そして、その薄さ(熱の伝えやすさ)、軽さ、丁寧な仕上げなど、職人気質に通づるスピリットに触れることができました。この土器の多くは、河内の船橋遺跡から発掘され、弥生文化博物館の一般収蔵品倉庫に保管されているものです。
12/08/02 20:15
|
|